16.ジョージ・ソロスによるポンド売り

 

19929月のジョージ・ソロスによるポンド売りは国際金融史に残る一大事件として歴史に刻まれています。

 

ジョージ・ソロスは1930年ハンガリー生まれのユダヤ人です。

第二次世界大戦後に祖国を発ち、ロンドン、ニューヨークと海外に移住し、金融機関でトレーダーやアナリストとしての下積みを経た後、1973年に通称クオンタム・ファンドと呼称される自身のファンドを設立しました。
運用成績は当初から抜群で、ファンドの規模は拡大の一途を辿りましたが、彼の名を一躍有名にしたのが、1992年のポンド危機です。

 

当時のイギリスはERM(欧州通貨制度)に参加しており、ポンドとEC諸国との為替レートの乖離を一定の枠に収めなくてはならない状況にありました。

そのため、イギリス(イングランド銀行)は、国内景気が悪化しているにもかかわらず、ドイツマルク等の高金利通貨に合わせた高金利政策を継続するという無理のある金利政策を余儀なくされていました。

こうした状況を見たジョージ・ソロスは、いずれイギリスの景気は高金利のために立ち行かなくなり、ポンドは必ず利下げされ、大幅な下落に追い込まれると考えました。

そして、1992年の910日以降、およそ100億ドル相当のポンドを売りまくったのです。

ソロスが取った具体的な手法は、ポンド売りのマルク買いです。

100億ドルのポンドを売りして、60億ドル相当のマルクを買ったのです。

それだけではなく、ポンドが切り下げられた後に上昇が見込まれる英国株を買い、逆に値下がりが見込まれるドイツ株を空売りまで、周到に手を打ちました。

 

一方のイングランド銀行は欧州の中央銀行と連携し、ERMへの加盟維持のために公定歩合の引き上げで対抗。

916日には何と一日で2度の利上げを実施しました。

それまで10%だった公定歩合を同日午前中に12%に引き上げ、それでもポンドの値下がりが止まらないのを見ると、午後にはさらに15%まで引上げたのです。

しかしその後もジョージ・ソロスをはじめとするヘッジファンドの容赦ないポンド売りは続き、さすがのイングランド銀行もついに屈してしまいます。

結局、公定歩合は10%に戻され、イギリス政府はERM(欧州通貨制度)から撤退を表明。

その後、ポンドは更に下落を続け、最終的に40%程度の大幅な下落となりました。

 

この勝負によって、ジョージ・ソロスは約20億ドルの利益を得たと言われています。

一方のイングランド銀行は、そのときの為替介入で2030億ポンドの損害を出したといわれています。

たった一人の男が、一国の中央銀行を相手に完全な勝利を得たのです。

イギリス人はこの日をブラック・ウェンズデーと呼んで、今でも忘れられない忌まわしい日として記憶しています。

 

我々個人投資家には全く縁のない世界ではありますが、ジョージ・ソロスほどの財力と胆力を持ち合わせた人間にとっては、市場の流れに身を任せるだけではなく、自らが市場の流れを作り出し、それによって利益を出すことも可能なのです。

我々にできることはそうした市場のストリームをいち早く察知して、コバンザメのようにそれに乗っていくことです。

 

 

 

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